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Imogen Cooper~ Piano Concert



久しぶりのピアノリサイタル。

ピアニストはイギリスの女性ピアニスト、イモーゲン クーパー。初めて聴く演奏だ。

Imogen Cooper, 1949年8月28日 66歳。

ブレンデルに師事し、シューベルトを得意とするそうで、今回の演奏プログラムも、後半はシューベルトの「12のドイツ舞曲」と、ピアノソナタ20番(D959)。


会場はほぼ満席。


演奏会場は、国際コンペティションにも使用されるホールだけれど、それにしては市民会館に毛が生えた程度の地味で、あまりにもぱっとしないホール。
世界的に名の知れたピアニストも度々ここで演奏する事があるけれど、現地の住人としてはなんとなく片身の狭い想いをしている。


建物も屋内も全体的に古びている感が否めず、ステージ上の背景や床は一部の木板が剥げているし、装飾類いのものは一切なく、体育館のステージのよう。日本のような立派で洒落たコンサート会場とは比較にならない地味さ加減!


この地で一番のコンサート会場は、ここよりはずっと新しくてきれいだけれど、残念な事に座席によっては音が非常に聴こえずらいのネックだ。そのホールの照明もやけに明るいこともあって、落ち着けない感じがするのに比べて、ここで二番手のこのホールが音の響きが良く、照明も客席は暗くおとしてくれるし、家からも近いので(!)、私的にはこちらのホールの方が嬉しい。チケットが安価なのも更に嬉しい!



さて、前置きはこれくらいにしてコンサートの話。



会場が静まり、客先の照明が落ちて、ステージ右手より、ピアニストの登場。


その瞬間、ステージがぱっと華やぎ目を惹きつけられた。美しい!

今夜の主人公は、えんじ色のロングドレスの上に、キラキラ素材を品よく縁取りした薄い黒の羽織ものをおめしになり、なんとも気品にあふれた足取りで緩やかに、しっかりした足取りでピアノに歩み寄り、客先に向かって深くお辞儀。 


遠目で見ても、知性と品格が備わったお方である事が一目瞭然です。


最初のプログラムはショパンの「舟歌」。


素晴らしい演奏。
最初の一音と左手のリズムを刻むモチーフの響きにぐっと惹きつけられた。


いや、素晴らしいという言い方がは誤解を呼ぶかもしれない。


この曲は多くのピアニストが弾く名曲。

色々な演奏を聴いてきたけれど、それは素晴らしく名演という名にふさわしい演奏も数多くあれど、クーパー女史の演奏はそういった所謂素晴らしい演奏とは、一線を画する。

もしかすると、今晩の演奏よりも、要所要所で盛り上げて、華やかにきらびやかに所謂「聴かせる演奏」という点では、他にもたくさんピアニストが存在しているだろう。


けれど、クーパー女史のような演奏は、他の人がとても真似できるものではない演奏といったらいいか。


う-む。人間的な熟成がなせる技だろうか。


決して高ぶらず、力む事なく、大袈裟な表現など微塵もなく、自然で深い情感を湛える演奏

左手バスの部分と右手の主旋律のバランスを保ちながらの際立ち方が見事。





そして、特筆すべきは最後のプログラム、シューベルトのソナタ第20番。

言い尽くせない素晴らしさだった。


シューベルトが亡くなる3年前から一揆に書きあげたという後期の重要な3曲のソナタの一曲。


他のどの作曲家とも違う、シューベルト独特の世界が広がる作品だ。


4楽章構成で、演奏時間は通しで演奏すると、40分前後にもなる大曲である。



震えがきたのが最終楽章の演奏。


この楽章は難易度的にさほど技術を要するものではないが、演奏家によっては全く別の曲に聴こえてしまうくらい、弾き手の全ての感性、人生観、表現力というもの全てが問われる作品だと思っている。


助長で面白くない楽章という人もいるが、クーパーの演奏は、人生の哀愁というものの中に、慰めがあり、後半は涙がはらはら溢れてきて、どうしようもなくなった。

ふと、横を見ると、となりの若い台湾系の男性など、鼻を鳴らして泣いているではないか。

深い慰め、慈愛の感覚、どこまでも許されているという感覚。ああ!これは演奏者が女性であるからこその音楽であると気づいた。


ブレンデルに師事したことのあるクーパーの演奏、どんなシューベルトの演奏なのだろうと楽しみにしていたが、癒され、胸がいっぱいになる演奏を聴かせてくれた。感激である。



ここで考えたのは、男性ピアニストと女性ピアニストの違いということ。


今まではどちらかというと、クラシックの世界全般に言えることだが、男性演奏家にしかできない演奏というものがあって(肉体的にも精神的にも)男性優位というか、クラシックの世界というものが、男の世界であると感じていた。

ウイーンフィルやベルリンフィルにしても、まだ遠くない過去に、アジア系はもとより女性の演奏者というものを一切受け入れていなかった。

私が大好きな演奏、バックハウスとウイーンフィルのベートーヴェンピアノコンチェルトの動画などを見ると、オケのメンバーは全員男性(全員、ほぼ欧米系)で女性は一人もいない。
誤解を招きそうであるがあえて言ってみると、この映像が何とも言えない清潔感を醸し出していて、「ああ・・所詮、女には無理な世界だねぇ」などと、ため息つきながら見ていたのである。

これは男女差別ということではなく、男女の違いからくるものがそうさせるのであるし、そもそもクラシックの作品を作り上げた偉大なる作曲家は一部を除きほぼオール男性である。

そこに表現されている心情は、時代が異なれど、男性としての感情~喜び、怒り、悲しみ、苦しみ・・・etc・・・であって、例えば、苦悶の人生を送ったというベートーヴェンの作品上、表現されている「苦しみから歓喜へ」といったような、対極する陰と陽の強い求心力を備えた感情の類い。女性であるわれわれにどこまでわかるだろうか?想像はできても、実際に体感したり、深い部分まで理解できるものではないと思う。
(だからと言って、女性に弾けないということでは決してない。)


かくいう自分は、ベートーヴェンがとても好きであるけど、作品を演奏していてベートーウェンの人間味みたいなものを感じ取る事ができたとしても、彼が抱えていた”巨大なる苦悩を理解せよ”と言われたとしても、実際は、「無理だわ~」って思ってしまう。


所詮、その時代に生きた殿方の抱えていた苦悩など、女の私にはわからんわけですよ。(言ってしまった・・・)



で、話を元に戻すと、クーパーのシューベルトの演奏は、逆に女性であるからこその演奏であった。


深い慈愛が根底に流れつつ、深い知性を兼ね備えるクーパーによって、センチメンタルに流されることなく、気が付くと、許しが得られて安らぎの気持ちに満たされていたのだ。こんな体験は初めて♪

女性ピアニストの中にもアルゲリッチやピリシュ、内田光子、最近ではショパンコンクールで優勝したアヴェデーワ、若手ではユジャ・ワンのように活躍している演奏家がたくさんいるが、どうも、どちらかというと、皆さん男性勝りな演奏をする方が多く、演奏の印象として、テクニック的にも情熱的にも「凄い!」と思うけれど、女性としてその人がかもしだす音楽、というものを感じ取ったことはなかった。



それにしても、シューベルトは素敵だ。 

今晩の演奏について、そんな風に色々想いを馳せる事ができたのも、シューベルトの曲だったからこそかもしれない。


シューベルトの後期のソナタを実際に自分で弾ひ、弾き終えると、まるで長い長い旅から戻ってきたような錯覚を覚える。


人生の旅、という捉え方でいうと、自分の歩んできた人生を音楽と共に辿り、途中振り返り、そして自分の収まるべき着地点をいうものまでもがみえてくるようである。これはシューベルトを弾いてしか感じる事のできない独特な感覚で、ある年齢にいってこそ、わかってくるもので、それがとても素敵なのだ。


ショパンが一区切りしたら、またシューベルトを弾きたくなった。





今夜の演奏会は、女性として、たぶんこれからも一生ピアノを学んでいく上で、目標とするような演奏に巡り合え、この上ない嬉しさと満足感に浸っている。

# by hk198906 | 2015-06-19 18:50 | コンサート

ピアノを弾くって思っている以上に素敵なこと!


ブログを開いたのは半年ぶりかな(汗)。

投稿に至っては、前回の投稿が2013年!

とうとう重い腰をあげ、思い切って投稿を試みているけれど、何を書こうかな―と悩む。

今年は自分にとって、激動の幕開けになった。

日本からさほど遠くない、小さいけれど、強烈なパワーを放つこの街の片隅でなんとか生きている自分。

がんばっているよなぁ、私。



久しぶりにピアノの事を。

最近、というか、もうここ2年以上、レッスンはショパンのバラードオンリー。

2年程前に日本のある音楽祭のアマチュア向け企画に参加するので、モーツアルトのコンチェルトと、ベートーヴェンのコンチェルト3番を少しだけ手がけただけ。

古典が大好きな事には変わりなく、ショパンばかり弾いていると、たまにものすご~く、ベートーヴェンを弾きたくなったりする。そして、畏怖の念を抱いているシューベルト様、ああ、懐かしい。シューベルトをまた弾きたい。

でも、なんせ、練習時間がなかなか取れない。

年も取って老眼もすすんで、夜は楽譜が見ずらいということもネックだ。


自分がショパンのバラードを弾くなんて、思ってもいなかったけれど。

先生のご指導のおかげでショパンの素晴らしさに開眼。

ロマン派は苦手という意識だったけれど、ショパンの音楽の深い事深い事。
虜になる感覚が、古典のそれとはちょっと感覚が異なるの。

聴いているだけでは決して到達できない、自分で弾いてみてこそ、体感してはじめて感じ取る事ができるもの。

それが、自らピアノを弾くっていうことの醍醐味かな-。

だって、考えてみれば、何世紀も前に存在していた偉大な作曲家の作品を、今、自分が生きている時代に、自分で奏でる事ができるって、実際、凄いことだと思うんだよね。

普段、ピアノの蓋をあけて、楽譜を置いて、何気に練習を始めるわけだけど。

数小節だけ、ぽろぽろって弾き始めていても、実際に弾いている曲って、大・小、難易度を問わず、実際には過去の偉大なアート作品の産物であるっていうこと。

ピアノを弾くって、つまり偉大な作品を実際に再現するべくなぞってているわけで、それは改めて凄い事だなぁと最近実感している。

作品に触れることで、作曲家の人間そのものに触れているような感覚が芽生える瞬間がある!

あ、これは、演奏そのもののレベルとは関係がないのだけど、練習を通じて作品に向き合えば向きあう程、わかってくるものがあるということ。


愛しむべき素晴らしい作品たちが、生まれてから悠久の時代を経て、
今、自分がしている体験ということに、一人ほくそ笑んで練習を楽しみましょ(^^♪




# by hk198906 | 2015-06-16 20:31 | ピアノ諸々

2012年もまもなく終わり ショパンなど・・

ブログを放置したまま早一年以上。
久しぶりにログインを試みたのだけど、暗証番号がうる覚えになっていてなんとInできない~!
いくつか覚えのあるナンバーを打ち込んでもダメで、あきらめかけたところ、急に画面が切り替わってログイン画面が現われた。
ログインできたものの編集の仕方を忘れてしまっている有様で、とりあえず、記憶を辿りながら(って、大袈裟なものじゃないのに^^;)スキンを変えてみる。

で、よく見ると?今年に入って一度も書いていなかったじゃないか~、

ということが判明したというか?いや、今更なのだけど初めて気づいたという有様・・・・(汗)

以前の記事を読み返して見ると、こんな事書いたっけというくらい、自分が何を綴っていたのかもあまり覚えていない(汗)。まるで他人が書いた記事を読むような感覚で、以前のレッスン記を読み返してみる。
こうして読み返すと、今更気がつくことがあったり、これはやはり気を取り直して、これから少しずつ、また綴ってみようではないか。(この気持ちが持続するとよいのだけど・・)


ピアノのレッスンは相変わらず隔週で受けている。

今、弾いているのは、ショパンエチュード 『10-8』,ベートーヴェンソナタ29番『1楽章』。

それから、前回のレッスンで先生からショパンのファンタジー(Op.49)をこの先学習するにあたって、その前にバラードを弾くようにと急に命じられた。1番か3番をという事で、両方初見弾きをしつつ、先生のご意見を交えながら、結局3番を弾く事になった。

今、今週のレッスンに向けて譜読みの最中だが・・・凄く難しい・・・・

それにしても、自分がショパンのバラードを弾くような日が訪れるとは。

レッスン再開当初は思ってもみなかったことだ。

ショパンのバラードという作品。言ってしまうと、実はあまり好きではない。

私が好きなショパンの曲は、『英雄ポロネーズ』とか、『華麗なる大円舞曲』や、エチュードの10-1や『革命』、『ピアノ協奏曲第1番』、といった潔さがあって華麗な曲。一言で言うとショパンの中でも豪快な曲に部類される曲だ。わかり易い曲とも言える。

だけど、陰鬱な響きを伴うワルツなどは最も苦手。
小学何年生の時だったか、発表会でショパンの暗いワルツを弾かされ、本当に嫌だった事を今でも覚えている。なのに、先生から、『あなたはショパンが合っているかも』、と言われ、発表会の終わった後もたてつづけにワルツ数曲、アンプロムプチュのレッスンを受けるはめになり、モチベーションがどんどん下がっていったことも記憶に久しくはない。

お恥ずかしい話、ショパン独自の作品マズルカ等も、未だに自分の感覚ではほとんど理解できないし、ピアノ愛好家の間では幻ポロと呼ばれ、曲の崇高さ、素晴らしさについて談義が交される『幻想ポロネーズ』という偉大な大曲すら、私には良さが未だによくわからないのである・・・・

単に私の未熟な音楽感性が故になのだろうけれど、ショパンの音楽に秘められた固有のエスプリともいうべきあの優雅さを伴う独特の感性、そして複雑に幾重にも折り重なる陰影の襞・・・全く異次元の感覚で、その感覚を理解できない、という言い方はちょっと正しくないけど、つまるところ、自分の内にある音楽的感性に強く共鳴してこないのだ。


ショパンの『バラード』や『スケルツオ』など、偉大なピアニストの演奏などを聴くと、言い知れない感激を覚えるけれど、それくらい深い演奏でなければ伝わってこないとも言える作品ということもあって、素人ピアノ学習者が弾くにはあまりにも難しい、と思ってしまう。



そんなこんなで、バラードという作品を手がけるのはけっこう重たい気分だし、仕事持ちの大人の学習者なのだから、限られた時間内で自分がやってみたい曲だけを弾きたい、というような我がままな気持ちもある。

だけど、尊敬する今の師匠に命じられた以上、やらないわけにはいかない。


これはいっちょ腹をくくって、苦手なショパン先生に真正面から取り組んでみる事にしよう。(と、自らを奮いたたせる!)




レッスン記は追々綴ってみたい。

# by hk198906 | 2012-12-11 16:48 | ピアノ諸々

最近のレッスン・課題曲など

今月は振り替えレッスンが入った為、レッスンが3週間連続となり、今週もレッスンが入っている。
先週のレッスンで、ショパンエチュードop.25-12がいきなりあがった、というより、先生がもうこれは駄目だ、と思われた感が強く(汗)、次はop25-2を弾くことになった。とても美しい曲で、弾いていてどんどん好きになってくる曲。今まで弾いてきたop.25-6,25-8,10-1,10-2,25-12の中では一番好きな曲かも!というより、他の曲は難しすぎて弾くだけで精一杯だから好きになれるまでに至らないという感じでしょうか(汗)。25-2はテクニック的にも今までやってきた曲よりも、かなり弾きやすく、練習が楽しめる余裕があるのが救いです。

そして、ラフマニノフのプレリュードに代わり、ショスタコービッチの『24の前奏曲とフーガ』の24番にとりかかりはじめたが、前奏曲はテクニック的には難しいところはさしてないものの、フーガが中盤からかなり入り込んできて大変なことになっている。
それからベートーヴェンのピアノコンチェルト第4番の第二楽章と第三楽章のピアノパート。
一回のレッスンで全て見てもらうには時間が全く足りず、1月に相方さんと二台のピアノで合わせて弾く事になっているコンチェルトがいっこうにすすまないので不安が増大・・・

それから、T子先生が審査委員長をお勤めになるコンペティションへの参加の話があり(開催は中国本土)、まぁ本選まではまず残れないにしろ、予選のDVDの仕上げという事を目標にするだけでもかなり勉強になるかもしれないので、前向きに考えてみようと思っているところ・・・

# by hk198906 | 2011-11-22 06:10 | ピアノ レッスン

今年ももう11月 ピアノコンペティションのことなど。

ブログ放置のまま、気がつくと今年ももう11月。
最近はすっかりFACEBOOKに気が取られてしまい、ブログの存在が記憶から消えかけていたところでした。
でも、こうやってブログに久しぶりに綴り始めてみると、なんとなくこちらの方が落ち着いて書けるような気がします。FACEBOOKは長い文章を投稿すると読まれにくい傾向があるという事もわかりました。iPhone等、携帯の小さな画面で見る場合も多いせいか、ぱっと見てささっと読める内容の方がFBには合っているんだろうし、スピードが断然速いのですよね。

さて。近況を綴ると、10月はT子先生門下生の発表会があり、その後はずっと香港国際ピアノコンペティションに足を運びました。発表会の事はまたの機会にして、今日はコンペティションの事を。

2005年から始まったHong Kong Intarenational Piano Competition、3年に一度香港で開催されるこの国際コンペティションも今年でもう3度目。コンクール初回の2005年当時、まだ娘がピアノを習い始めて間もない頃で、初めての発表会を終えたばかりだった事が思い出されます。当時はまだ8歳だった娘を連れて、初めてピアノのコンクールというものに足を運びました。あれからもう6年の歳月が。2007年の11月からPTNAさんの紹介経由にて娘はT子先生に師事するようになり、私もその翌年に念願だったレッスンの依頼を申し出て今に至ります。
T子先生も今年のコンクール会場に時間の限り足をお運びになり、会場で幾度もお会いしました。
私の勤め先がたまたまコンクールの会場から歩いて5分程度という便利な状況だった為、昼休みを利用してコンクールを聴きに行ったりしたのですが、その際に先生にお会いすると『あら!お仕事をさぼってお見えになったの?』といたずらっこのような笑みを浮かべられ、いらぬ疑いを抱かれていた秋生でした(笑)。

コンペティションの審査委員長は、ウラジミール・アシュケナージ。審査委員にはカーティス音楽学院の校長先生だったゲーリー・グラフマンや、フランス人ピアニストのパスカル・ロジェ氏他、名だたる方が名前を連ね、ファイナルのピアノコンチェルトは今年はなんと、審査委員長のアシュケナージが自らタクトを振り、香港のトップオケである香港フィルハーモニーとの共演という贅沢さ。ちなみに第2回の際は香港フィルではなく、香港シンフォエッタとの共演でした。

DVD審査で通ったコンテスタントが一次予選ではバッハの『平均律』、ショパンのエチュード(いずれも指定された曲から選ぶ)、モーツアルトのソナタは必須課題です。その他、ロマン派や現代の作曲家の指定曲の中から選曲し40分程度のプログラムを構成します。2次予選になると、ショスタコービッチの『24のプレリュードとフーガ』、シベリウスのワルツ曲『Valse Triste』、アルベニスの『Triana』も加わりこの3曲が必須課題曲として与えられ、その他、ベートーヴェンピアノソナタ第28番から32番のいずれか、ショパンのバラードNo,3 or No,4, スケルツォ、幻想ポロネーズ等、シューベルトの後期のソナタや『さすらい人幻想曲』、 リストの超絶技巧練習曲の指定曲、スクリャービンやプロコフィエフのソナタ、ラベルの『夜のガスパール』等といった難易度の高い課題曲の中からコンテスタントのチョイスで構成します。演奏時間一人につき70分程度と長く、集中力も求められる難関の2次予選。ショスタコービッチのプレリュード&フーガは、T子先生もレッスンに取り入れている曲で、大人の生徒達でこの曲をリレーで弾くという先生のプランニングがあり、近々課題として渡されるという事もあったのでしっかり拝聴しました。
2次予選を終えるとファイナルにすすむ6名に絞られ、6名のコンテスタントがセミファイナルの室内楽演奏(シューマン、ブラームス、ドボルザーク等)、続いてファイナルではソロ演奏の課題曲でこのコンペの為に作曲されたという、V.H.Blake ''Speech after long Silence"を演奏し、続いてコンチェルトプログラムと3日間に亘り全員が演奏し、最終日の演奏後に審査結果が発表されます。

今年はイタリア人のコンテスタントが優勝、2位には2008年PTNAの特級クラスでグランプリを受賞されたSato Keinaさんが受賞され、日本人初の入賞となりました!3位はなんと台湾人のまだ14歳の男の子です。
このコンペはまだまだ知名度も低いかもしれませんが、過去の受賞暦を見ると、エリザベート国際コンクール第二位のシェン・ウエンユー、あちこちの国際コンペで活躍中のイリヤ・ラシュコフスキ、2005年のショパンコンクールで6位に入賞したコリーン・リー、浜コン入賞者のキム・テヒョン等、その後も活躍しているピアニストがけっこういたりします。
今年は日本人コンテスタントの参加は佐藤さんを含めて計4名でした。(現在、外国で研磨を積んでいらっしゃる方ばかりでした。)
二次予選に残れたのは佐藤さんだけで、とても残念だったのですが、佐藤さんの演奏は一次予選からファイナルまで全て聴かせていただいたのですが、どんな演奏をされるのだろうと一時予選は仕事の時間をずらして会場に足を運んだのですが大正解!素晴らしい演奏でした。後ろの審査員席からも、『ブラボー』の囁きが(アシュケナージかピーター・フランク氏)聞こえました。一次予選のバッハの平均律とモーツアルトのソナタの演奏ですでにノックアウトを喰らっていた私でしたが、2次予選で演奏されたベートーヴェンピアノソナタ28番の、なんというか、格式を保ちながらも美しい音楽表現がいたるところにちりばめられた演奏、アシュケナージも絶賛されていたようです。そして、ショパンの幻想ポロネーズと、最後に時間の関係からシューマンの『謝肉祭』を途中から弾かれました。もうもう堂々たる演奏で本当に感激でした。
PTNAの特級でグランプリを受賞するくらいの方なので、私ごときがああだこうだ言うのも憚られるのですが、あくまでも個人的な印象を綴るという事でお許しいただくと、音楽に対する類まれな感応力(これは元々持っているものが並じゃない、と感じました。)に、知性に裏づけされた表現が加わる事により、それが演奏全体の大枠となり、細身で小柄な外見からはちょっと想像がつかない、ある種の風格をかもし出しているのですね。私は彼女が一位を取るかもしれないとさえ、思いました。
ファイナルで演奏したベートーヴェンのピアノコンチェルトの第3番はアシュケナージとの息もぴったり。第二楽章など、あふれる音楽の泉に会場全体が染まりそうな程、際立った演奏でした。6名の受賞者は皆素晴らしい演奏をする方達ばかりでしたが、私は彼女の演奏がとにかく一番好きでした。

以下PTNAのサイトより。

PTNAのサイトより Sato Keinaさんインタビュー

コンクール主催者 香港ショパンソサエティ会長 アンドリュー・フラレス氏インタビューコンクールの特徴についても語られています。


話はそれますが、このコンクールの鑑賞チケットがこんな金額で良いの?と思うほど、お安いのですよ。一次予選など、一日あたり日本円にして約500円。学生と高齢者はそれが半額になります。ラウンドチケット価格もあり、通しで買うと更に割引が。ファイナルのチケットも一夜につき約2000円。コンクール開催の背景には莫大な寄付を行っているレディ カドリーナ夫人という大財閥の存在があり、香港政府も今年はかなりの出資を行ったようで、本当にありがたい限りです。次回は3年後の2014年。

さて、このコンクールの終了後はそれで終わりではなく、受賞者セレモニーと優勝者の演奏会に続き審査委員メンバーによる演奏会というおまけつきです。ガラコンサートはコンクール期間中も各予選の合間の中休みの日の晩にも行われ、その上コンクールの演奏が夜までない日は、日中審査委員によるマスタークラスが開催される等、審査委員の先生方は審査以外のお仕事も盛りだくさんで非常にお忙しかった事と思います。(コンテスタントの演奏をひたすら聴き続けるというのも、素人の私であってもこれまた非常に集中力を要するもので、毎日ぐったり疲れました。)
ガラコンサートのハイライトでもある最終日は、アシュケナージ指揮による審査委員4名による4曲のピアノコンチェルトを一晩で演奏という豪華なプログラムです。曲は、ショスタコービッチ ピアノコンチェルト第2番、ラフマニノフ ピアノコンチェルト第3番、リスト ピアノコンチェルト第2番、そしてラベルの左手のためのコンチェルト。会場はほぼ満席で、それぞれの演奏に対して拍手の嵐と偉大なるマエストロを称える声援も送られ、聴き応え見応え共たっぷりのコンサートでした。

余談ですが、コンサートの後、嬉しい事にT子先生と他の大人の生徒さんと共にSato Keinaさんとお話する機会があったのですが、コンクールの印象について、とてもコンテスタント想いのコンクールとおっしゃられ、練習室の確保や練習時間の割り振りの配慮なども非常に印象が良かったようです。課題曲の準備は新たに取り組むが4曲+室内楽もあり、ご準備が非常に大変だったそう。
それでも見事に2位、国際コンペでの2位です!受賞された事は本当に素晴らしい限りですね。
全ての演奏を聴く事ができた私はホントに幸運でした。
Keinaさんは日本に一旦戻られた後、ドイツのハノーファーに再び戻られるとの事でした。
今後のご活躍がとても楽しみです!この先、香港でのコンサート企画など、期待と共に楽しみにお待ちしたいと思います。

# by hk198906 | 2011-11-05 16:04 | ピアノ諸々
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ピアノ、日常のつぶやき


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