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3月も過ぎ行く

今日で3月も終わり。今年に入って丸3ヶ月が過ぎたことになる。

T子先生が急に入院して手術を受けることになり、療養に要する時間も含め、

突然4月末までレッスンはお休みになってしまった。

急なことでとても驚き、心配で気をもんでいたところ、

昨日入院されて一通り検査も終え、一息ついていらっしゃるというT子先生からお電話を頂き、

お元気そうなお声を聞くことができてほっとした。

今日の手術がどうか上手くいきますように・・・

ピアノのレッスンを受けることも先生にお会いすることも、私の日常生活の大切な一こまに

なっていて、前回のレッスンから1ヶ月以上もお会いできないのだと思ったら,

ちょっと心が萎えしまった。

先生から頂く暖かいパワーは私のビタミン剤。

普段、練習を本当に少ししない娘も、レッスンが1ヶ月ないことを知ったら、意外にもトーンダウン

した返事が返ってきて、やっぱり先生をお慕いしているんだなぁと思った。

一日も早くご回復されますように・・・!


ところで6月末に予定されている発表会。

ここ最近はピアノに向かう気持ちが失せているところにもってきて、

レッスンが1ヶ月もないということも加わり、困ってしまった。

曲は全く仕上がっていないし、暗譜など程遠い状況で、一体どうなってしまうのか・・・

心境的に今弾いてきる曲が合わない、ということもあり、

いっそのこと曲を変えてしまいたいと思ったり。

難しいから一生懸命練習しないと弾けない曲なのに、今しゃかりきになって、

ピアノに向かおうという気持ちにどうしてもれなれないのだ。

もう時間もないので、短めの小作品で以前やったことのある曲か何か。

あ、やった事はないけれど、娘が課題曲の一つとしてずっと弾いている、

メンデルスゾーンの無言歌集なんてどうだろう。



今、日本にいるピアノを弾く人達は今どんな曲が弾きたいのだろう、とふと思った。




# by hk198906 | 2011-03-31 12:32 | ピアノ レッスン

本日の日経新聞より (言霊の祈り)

2011年3月24日(木)文化 32面より

言霊の祈り
~ 小池 真理子 ~ 

こいけ・まりこ
作家。1952年東京生まれ。
96年『恋』 で直木賞、
2006年『虹の彼方』で柴田練三郎賞。
主な作品に『無伴奏』 『水の翼』 『望みは何と訊かれたら』 など。


震災後、数日間にわたって、私は小説を一行も書くことができなかった。小説という、虚構の世界に逃げ込むことすらできなかった。
呆然として眺めるしかなかったテレビには、巨大な波にのまれていく町、玩具のように流されていく家や車、闇を焦がす炎、避難所で震えている人々の映像が、繰り返し映し出された。それは時を追うごとに、日を追うごとに、いっそう悲惨なありさまを呈し、とどまるところがなかった。
これはいったい何なのか、と目を疑った。
自分が生きている間にこれほど凄まじい光景を目の当たりにすることになるとは、夢にも思っていなかった。現実の出来事として受け入れるのに時間がかかった。覚める事が許されない、永遠の悪夢をみているかのようだった。

私は父親の転勤で、高校一年になった年、仙台に移り住んだ。宮城県第三女子高校に編入、同校を卒業し、一年間予備校で浪人生活を送った後、東京の大学に進学した。両親はそのまま仙台にとどまっていたので、私は学校が休みに入るたびに、仙台に帰省していた。

1960年代末から70年代初頭にかけてのことだ。あらゆる価値観が変貌を遂げ、若者が皆何かをせずにいられなくなっていた、あのもっとも熱かった時代を、私は仙台で過ごしたことになる。
小遣いでローリングストーンズのレコードを買ったのも、煙草を覚えたのも、仙台だった。日に何時間も書店で過ごし、仲間と難しい議論を戦わせ、ヘルメットをかぶって街頭デモに参加し、高校で制服廃止闘争委員会を結成したのも仙台なら、詩や散文を書き、多感な想いの中で巡る季節を味わったのも、全て仙台だった。
今回、津波に襲われた海岸には、当時、友人達と海水浴に行った。デートと称して、男友達と海を見に行ったこともあった。
マスメディアで報道されている被災地の惨状は、おそらく氷山の一角なのだろう。被害状況は、私などが想像もできないものなのだろう。そうわかっていながら、私はテレビを見続けた。見続けながら様々なことを脈略なく考えた。
自分の中に刻み込まれた宮城県での記憶。はるか遠い昔のようでいて、ついこの間のことのように感じられる。仙台には今も親しくつきあっている友がいる。彼女たちは結婚し、子供を生み、仲には孫がいる人もいる。全員の無事が確認できたので、ほっとしたのも束の間、思いは千々に乱れる。

震災後、やっと連絡がとれるようになった仙台の友から、私の携帯に長いメールがきた。想いの丈を吐き出すようなメールだった。
『電子書籍って何だろうね。停電したら何の役にも立たないじゃない。やっと電気が通じたけど、テレビは怖くて、これ以上観たくない。本が読みたい。紙に印刷されたものが読みたい。お願い、本屋さんをなくさないようにして!このうえ、私たちから本まで奪わないで!』
彼女は読書家で常に本を読みあさっている。震災で出版関係の機能も滞っているという私からのメールに対する返信だった、
私たちはこれまで凄まじく暴力的に前進し続けてきた。その繁栄と進化は頂点に達し、それでもなお膨張は繰り返された。あげく、あちこちに歪が生じた。人の心は荒廃した。しかしなお、誰もそれをやめようとしなかった。津波はそうしたものすべてをのみこんで、去っていった。
大都市のネオンが消え、高級ブランド店にはシャッターがおろされた。電車は止まり、人々は不安を抱えながら家路を急いだ。

私たちは生来のやさしさや愛、勇気など、人間の本質的な何かを取り戻さざるを得なくなった。
引きこもりや弧絶、無縁、といった言葉は今や過去のものになった。人々は血縁地縁を超えて連帯し始めた。これが3月11日以前の日本と同じ国なのだろうか、とすら思う。
一つ間違うと、集団発生した連帯意識は個人を抑圧してかかることにもなりかねないが、今に限っていえば、そんなことにもならないだろう。
誰もが悲惨さと不安を共有している。愛の本質、生きていくという事の本質が、これほど私たちの中に蘇ったことはついぞなかった。
テレビ画面に、被災した介護施設に高齢者の姿を見つけると、私は二年前に逝った父をそこに重ねる。乳は大学時代を仙台で送った。さらに現在、施設で車椅子生活を続けている、認知症の母の姿がそれに重なる。
女性たちのこともよく考える。長引く避難所での生活。香りのいい化粧水やクリーム、メイク用品がどれだけ欲しいことだろう。荒れた手肌を潤わせる、薔薇の香りのするクリームをすぐに持っていってあげたい、と思う。すべてが我ことなのである。
作家として何かできるかと考えるたびに、烈しい無力感に襲われる。しかしすぐに考え直す。
戦時中も小説は絶え間なく読まれていた。死と離別と不安と食料不足が長期にわたって日常化していた時でも、人々は本を読んだ。本を欲した。言葉は人を救った。
時が流れ、再び立ち上がり、歩き出すにつれ、私たちは必ず、新しい言葉、新しい物語を必要とするようになるだろう。その時のために、私は書き続けていこうと思っている。


# by hk198906 | 2011-03-24 22:04 | ピアニストの記事など

Daniil Trifonovさん 震災した日本に向けて

Daniil Trifonovさん 震災した日本に向けて_f0197339_1612848.jpg昨年のショパンコンクールで一際心に響く演奏だったDaniil Trifonov氏.
日本に向けて祈りを込め、バッハの平均率の演奏を披露してくれています。
平均律第1巻 18番G#Minor プレリュードとフーガ

どんなに言葉を重ねても伝えきれない想いが音楽を通じて伝わってきます。
泣きました。ダニールさん、ありがとう。

http://www.facebook.com/video/video.php?v=1728150877206&oid=106788725326

・・・message from Daniil ・・・
I have many friends in Japan. I know that some of them are safe but I don't know
anything about other ones. I pray for them and I hope they are fine.
It is terrible to think of what happened in Japan and I wish this never happens.
Daniil..

# by hk198906 | 2011-03-22 16:13 | ピアノ諸々

雨ニモマケズ

3月19日 (土) 現地の大衆紙 「りんご日報」。
雨ニモマケズ_f0197339_14394892.gif
俳優の渡辺謙さんが呼びかけ人となり、今回起きた東北地方大地震の被災者応援メッセージサイト KIZUNA311(http://kizuna311.com/)を立ち上げ、渡辺謙さんが宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を朗読したという記事と共に中文によるこの詩が掲載され、その後YTに取り上げられる等、注目を浴びている。

《不怕風雨》宮澤賢治

不要輸給雨
不要輸給風
也不要輸給冰雪和夏天的炙熱
保持健康的身體
沒有貪念
絕對不要生氣
總是沉靜的微笑
一日吃四合的糙米
一點味噌和青菜
不管遇到甚麼事
先別加入己見
好好的看 聽 了解
而後謹記在心不要忘記
在原野松林的樹蔭中
有我棲身的小小的茅草屋
東邊若有生病的孩童
去照顧他的病
西方若有疲倦的母親
去幫他扛起稻桿
南邊如果有人快去世的人
去告訴他:不要害怕
北方如果有吵架的人們
去跟他們說:別做這麼無聊的事情了!
旱災的時候擔心的流下眼淚
夏季卻寒流來襲 不安的來回踱步
大家說我像個儍子
不需要別人稱讚
也毋須他人為我擔憂
我,
就想當這樣的人啊。


「雨ニモマケズ」

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

欲はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分の勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の影の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あらば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼうと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい



日本人なら誰でも馴染みのある宮沢賢治の 『 雨にも負けず 』 。

今、どうしてこれだけ胸に響くのだろうか。

# by hk198906 | 2011-03-19 20:47 | 日常

原発の驚異

原発について検索していたところ、原発の現場で現場指揮官として20年間働いていた方、平井憲夫氏の手記をみつけました。大変残念なことに平井さんは被爆に起因すると思われる病にて1997年に逝去されています。
手記には驚くべき恐ろしい内容の数々が事実として書かれています。
少しでも多くの方に読んでもらいたいと思い、載せることにします。
私は原発についてあまりにも何も知らなすぎました。

合わせて、本日の日系新聞7面に原発に関する記事が載っていましたので一部内容紹介します。

(日本の福島原発の事故を受けて)各国が緊急点検へ

~ドイツ ベルリン~
メルケル首相の12日の記者会見で。
稼動中の原発の安先生を緊急点検する事を明らかにした上で、
「ドイツの原発は安全」としつつ、「日本の原発の事故から何を学べるか考える。」
首相はシュレーダー前政権時代に決めた2021年をめどに全原発を停止するという脱原発案政策を見直す考えだったが、方針転換を迫られかねない情勢だ。

~フランス パリ~
ベッソン産業相は11日緊急記者会見に応じ、「重大な事故であるが核の惨事ではない。」
「仏原発は地震や洪水のリスクを考慮している」と強調。


~イタリア・ローマ~
福島原発の事故はイタリアで今年4~6月に予定されている原子力発電再開の是非を問う国民投票にも影響を与えそうだ。野党は「日本の事故は各施設に安全が存在しないことの証明だ」と一斉に反対の声をあげた。

~インド・ニュ-デリー~
13日タイムズ・オブ・インディア誌によると、原子力エネルギー委員会のスリニバサン委員長は「安全対策を再点検し、想定外の状況にも対応できるかどうか検証する必要がある」と訴えた。
地元紙によると、印政府内では日本政府が原子力協力の交渉に消極的になることへの危惧もあるようだ。



唐突ですが、日本という国がいくつの原子力発電所を保有しているかどこまでご存知だろうか。
私は今日の記事を読むまで恥ずかしながら知りませんでした。
その数は54基!
世界で442の発電所が現在稼動中であり、日本はフランスと競り合うくらいの数を保有する、
世界ランキングナンバー3の原子力発電国なのです。
国土面積に対する保有数量はちょっと考えただけでもフランスと日本は圧倒的な高率という事になります。

そして地震大国である日本。

とても考えさせられます。

米国     104
フランス   58
日本     54
ロシア    32
韓国     21
インド    20
英国     19
カナダ    18
ドイツ    17
ウクライナ  15
中国     13
ウクライナ  15


以下、故 平井憲夫氏手記を紹介します。

筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

 
筆者の言葉 原発がある限り、世界に本当の平和はこない。

****原発がどんなものか知ってほしい****

『原発がどんなものか知ってほしい』 平井憲夫

私は原発反対運動家ではありません。
 二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

 はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。

 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。

「安全」は机上の話
 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。

 この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

 なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

素人が造る原発
 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。


        ~以下文字数制限により中略~

全てを読む場合こちらへ

原発がある限り、安心できない

みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っています。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。



優しい地球 残そう子どもたちに

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筆者「平井憲夫氏」


# by hk198906 | 2011-03-14 17:22
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ピアノ、日常のつぶやき


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