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日本が大変な事に・・・

3月11日。ちょうど前回の記事をUpし終えた後、知人からの電話で日本での地震のことを知った。
かなり大きい地震だったようだから、日本の実家に連絡した方がいいと。

状況がよくわからなかったけれど、とにかく実家に電話をかけた。
10分後くらいにつながり、母の無事を確認。
東京でも相当の揺れだったようで、家の中の多数のものが壊れたそうで、
その処理に追われていたところだったと言う。妹とはメールで連絡が取れ安堵。
インターネットのニュースで地震の震源が東北地方だったことがわかり、
地震、そして大津波による被害の状況が次々に掲載されるうち、
どうやらとてつもない大きな災害だという事がわかってくる。

香港でも地震の後からずっとトップニュース扱いで報道。
土曜日の現地の新聞の一面に「日本大地震」と書かれた大きな見出しと津波の拡大写真。
中8面くらいを割いて被害の状況が写真入りで大きく報道されていた。
昨日の新聞も同程度での扱い。

そして今朝の新聞は福島原発の爆発事故により核燃料流失というタイトルで全面を覆っている。

3月11日の午後に起きた地震の後、香港政府は香港から日本への渡航について警告度合いが2番目に高いRED警報が発令されている。しかし、日本の福島県については警告度合い最高基準であるBlack警報が発令された。
同一国に対しある地域を更に警報ランクを引き上げるというのは恐らく異例である。
先週末起きた福島原子力発電所の爆発事故は即TVで報道され、土曜日の夕刻には香港 保安局長の緊急会見と共に、福島エリアについてはBlacK警報が発令された。
会見内容を聞く限り、福島の原子力発電所は相当な危険度合いを伴っている状況になっているようだ。

自然災害についてはどんなに悲惨な災害であれ、時間をかけて少しずつ復興させていくことはできるであろう。
しかし原発事故で核の燃料を外に撒き散らすことになったら自然の災害とは比較の時限が異なるのだ。重大な影響を私達にも全ての生命にも及ぼすという事。
エネルギーの効率的な供給が適うにせよ、何でそんな怖ろしいものを作ってしまったのか。
人間は本当に愚かだ。でも今その問題を取り上げても、たった今福島で起きている事故をどうする事もできない。
最悪の事故を避けようと、たった今福島原発の現地で必死になって命をはって復旧作業に取り組んでいる人達を思うと言葉がない。

今、何より大事なのは福島原発による被害をとにかく食い止めること、これ以上拡散させないことだ。
その為に世界各国の専門家の力も借りてなんとかこれ以上の悲惨な事故になる事を食い止めてほしい。誰も核の事故なんて望んでいないのだ。


日本で今起きていることを想うとこの数日は寝ても眠れない状況が続いている。


毎朝晩、日本の向けて祈り続けています・・・

# by hk198906 | 2011-03-14 11:13 | 日常

ある日の朝日新聞より 漫画家 ちば てつやさん

かぞくの肖像

ある日の朝日新聞より 漫画家 ちば てつやさん_f0197339_16445356.jpgちば てつやさん   二郎とシャー

~家内とは尊敬しあう仲~

私や子供たちが猫アレルギーだったので猫を飼ったことがなかったんです。でも野良猫を家族が車でひいて大けがをさせてしまい、引き取りました。名前はハネタ。そのハネタをみとった後のことですが、今から6年前、1歳ほどのやせ衰えた野良の母親が4匹の子猫を引き連れてきました。
猫好きの人に飼ってもらおうと思って捕まえようとしましたが、逃げてしまう。エサをやっているうちに、近所にも「うちの猫」と認識されてしまいました。周囲に迷惑をかけないため、外に出ていけないように庭をフェンスで覆いました。

母親の名前はシャー。食べてエサがなくなった時、えさ箱に足してやろうとすると怒ってシャーと言う。子猫たちをしかる時も。家内の出身地の小倉弁で「しゃーしー」はやかましいという意味です。
飼う気はなかったので、仮の名前だったんです。
私達は最初、ぜんそくや目がはれたり、じんましんが出たり。
なれたのか、今では平気です。

それから1年後、知人のところから来た柴犬の子犬が二郎。じゃれつこうとして、シャーたちにうっとうしがられていました。
家内は「中国での言い伝えで善い行いをすると猫に生まれ変われるというけど、私もなれるかしら。」とシャーたちを尊敬しています。

二郎も毎日2時間の散歩に連れて行きます。動物のために生きているようなところがあって、私達はあまった時間でかまってもらってます。二郎たちもそれを感じているから、家内のことは尊敬するけど、私のことは軽蔑します。

でもね、私の母親が突然亡くなったショックで途方に暮れている時、ハネタが私の膝の上に乗ってきて座ったんです。私のひざに乗った猫は生涯でこれだけ。いやされました。

聞き手・鍛治信太郎

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちば てつや氏の漫画に初めて触れたのは「ハリスの旋風」のTV番組。母の話では当時まだ小さかった私はこの番組が大好きだったらしい。懐かしいあの主題曲。

ハリスの風~。ハリスの風~
ドンガドンガラガッタ
ドンガドンガラガッタ
国松さまのお通りだぁいっ!
屋根の子猫ちゃんこんにちわ。
街のおまわりさんこんにちわ。
うじ虫弱虫こんにちわ!

ちば てつや氏の名作且つ代表作の「あしたのジョー」も自宅に全巻あって、家族皆で読んでいた。

でも、私が一番好きだったのは「俺は鉄兵」。

小学生4、5年生くらいの時にたしか少年マガジンで連載されていたと思う。
この漫画が大好きで毎週待ち遠しい想いで次週を待ち望んでた。

なぜ女の子なのに少年マガジンなんかを読んでいたかというと、
当時の知人でたまに勉強見てくれていた若いお兄さんが、
毎週のように自分が読み終えたマガジンとサンデーを持ってきてくれて、
それですっかり少年漫画の世界に洗脳されていった。

ダメ親父(今だったら禁止処分となりそうな親父いびりの超過激なシーンなど未だに脳裏に-汗)とか、
楳図かずおの漂流教室、うしろの百太郎・・・他にもいろいろあったな・・・

でも、たくさん読んだ少年漫画の中でも「俺は鉄兵」は格別!

筋金入りの?野生児育ち、親父さんとその日暮らしで気ままに且つ過激に(!)日々を送っていた鉄兵。
実は鉄兵のお母さんは由緒ある家柄の出身で親父さんも官庁勤めをしていたらしいが、ある時親父さんはその管理されつくした暮らしに絶えられなくなり、家を出て姿をくらます。

どこかの山奥に辿り着き、荷物を解いてみるとそこに赤ん坊の鉄兵が紛れ込んでいた。親父さんは仕方なく面倒を見ることに・・・という経緯あり。

ある日のこと、居所をつきとめられた鉄兵と親父さんは、お母さんと鉄兵の兄弟が暮らす立派なお屋敷に連れ戻されることになり、由緒正しい兄、姉や妹と共に有名中学通いという180度異なる世界で暮らすことになる。

しかし、野生児鉄兵がそんな生活に馴染めるわけないのだった。

家ではなぎなたの名手でもあるめちゃめちゃ厳しいばあちゃんをぎゃふんと言わせて卒倒させるわ、
学校生活も何もかもがたまらなく退屈でかわいい女の子にちょっかい出したり、
ことあれば悪さをしようとする。

でもある時、剣道に足を踏み入れることになって、突然鉄兵の毎日が変わる。

剣道部の合宿、先輩との対戦(吉岡主将)、剣道の名門校への転校する為の入試試験にまったく身が入らなかった鉄兵は、剣道部へ誘おうとする上級生達のある特別な策略にまんまとひっかかり、
俄然勉強に精を出すようになる。家庭教師も驚くほど一心不乱に勉強する鉄兵!
回りは鉄兵が東大寺学園に入りたい真の動機などまったく露知らずなのだが。。。

これまた思い出すだけで笑いがこみ上げてくるシーンの数々!

でも、お腹ががよじれるくらいの笑いだけでなく、さすがはちば先生。スポ根魂もこれまたたっぷり。
鉄兵と対戦する上級生の猛者達がこれまたそれぞれ持ち味あるキャラクターでその辺もうまいのだ。

剣道の合宿では先輩に猛烈にしばき倒され下級生は食事も喉を通らず、風呂にも入れず、どろどろになって倒れて泣いて帰りたいといいだす。

でも、鉄兵は彼らを奮いたたせてしまうのだ。そして、一丸となって対上級生との試合に臨んで大活躍。

小学生から酒と博打の洗礼を受け、親父さんと共にすでに酒豪。
博打でもあの手この手の負けん気根性、そして大の女好き(体はまだ子供…汗!)
とにかく学校の中でも家でも完全に問題児なのだ。

しかし、鉄兵という問題児少年は大人顔まけの逞しさと強靭な精神を持ち合わせ、
はちゃめちゃで怖いもの知らずの痛快な生き様がとにかくよいのだ!
何より笑わせてくれるし、それだけ魅力的なキャラクターを描けるちば先生には脱帽だ。

漫画を読んでいたあの当時、もういい子ちゃんした子供達が本当につまらなく思えくるほど、
鉄兵のファンになっていたっけ。
こんな痛快・爆笑コメディを他に知らない。何度読み返したことだろう。

また読みたいと思うけれど、実家にあったコミックスは母が近所の図書館に寄付してしまい・・・
ネットで購入できるんだったら全巻買ってまた読みたいなぁ。

鉄兵というキャラクターは当時の私をどれだけ勇気づけてくれたことか。

ある日の朝日新聞より 漫画家 ちば てつやさん_f0197339_16153276.jpgちば てつや先生に心から経緯と感謝を表します!!!



# by hk198906 | 2011-03-11 14:46 | ピアニストの記事など

ある日の朝日新聞より-漫画家 美内 すずえ

≪命の塊だけになった日≫

漫画家 美内 すずえ
1951年生まれ。
大阪出身。67年、デビュー。
雑誌『花と夢』76年新年号で『ガラスの仮面』の連載開始。
現在まで続いており、単行本は46巻まで刊行。

~追憶の風景- 大峰山麓~

なぜ『ガラスの仮面』の連載は35年間も続いているのか。26年前、その前と後で人生が変わるような体験をしたことが、理由のひとつです。
連載は1975年に始まりました。一見平凡だけど、演技にかけては天才の北島マヤ。
映画界の大御所を両親に持つ美貌の姫川亜弓。伝説の劇『紅天女』の舞台をどこにするか。
迷っていました。85年11月、知人からいい場所があると聞き、足を運んだのが奈良県奥吉野にある天川村の天川神社でした。
田舎風の家やお社があるだけなのに雅な雰囲気を感じました。奥吉野は南北朝の南朝が置かれた所で紅天女の時代設定にぴったり、と思った。
翌月、弁財天の開眼儀式があるというので、一人で再び訪れました。山奥なのにニューヨークのミュージシャンが来ていて、広間では何十人も集まって立食パーティを開いていました。
私は部屋の中で柿の葉ずしを食べていたんです。
その時、不思議な体験をしたんです。言葉で語っても、本当に理解してもらうことは難しいのですが。
突然、まるで自分が地球に開いた穴の真ん中にいて、大地の底から吹き上げる冷たい空気にさらされ、体が透けていくような感覚を覚えました。残ったのは感情も肉体もない、命の塊だけ。それが本当の自分。他の生き物や火や水、いろいろなものとつながって生きている、と感じました。一晩で人生観が変わってしまいました。
人も自然も大きな力によって生かされている-。作中でかつて紅天女を演じた名女優・月影千草が語るメッセージは、私自身が体験し、言いたいことなんです。元々描くつもりだった以上のことを教わってしまった。登場人物の描写を通じてその感覚を伝えようとしますが、苦労します。未完のSF作品『アマテラス』も、半分以上は私自身の体験です。
生き方も変わりました。当時は連載も好評で、結婚も3年、のっていました。描きたい作品もたくさんあり、やる気満々だった。でも居間までの自分は本当ではなかったのだと、夢から覚めたようでした。物質的なものへのこだわりが、全くなくなりました。
連載を中断し、単行本に専念した時があります。一冊4回も描き直して。
気分転換に日本中の聖地や霊地を旅したんです。天川神社や洞川など、修験道の聖地である大峰山周辺は数え切れないくらい訪れました。

連載はいつ終るのか、とよく聞かれます。怒られるかもしれないけどわからないんです。
あの体験がなければ『ガラスの仮面』はもっと早く終っていたかもしれません。
もう少し普通の演劇漫画として。読者にはその方がよかったかしら。
良きにしろ悪きにしろ、長く続ける事で読者の興味を引き続けることになりました。
長い間描いていると、登場する電話などの小道具は変わります。でも物語の本質は時代が変わっても変わりません。
春に種を植えて秋に収穫するように、何をするにも時がある。人生には時があるんですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『ガラスの仮面』中学生の頃にはまって読みふけり、大人になってからもぽつぽつと読み返したり愛着がある漫画だ。
それは娘にも受け継がれ(?)、以前こちらで『ガラスの仮面』が放映された時、当時小学4年生くらいだった娘が引き込まれるように見ていたことを思い出す。夏休みに日本に帰国した時もツタヤでDVD借りて見ていた娘。日本から戻ってくると、あゆみさんが、とか、月影先生がね、等と言葉を発する娘を面白おかしく見ていた私。
連載がいつ終るのだろうと思いつつ、新しい刊が出ると必ず買ってしまう。

著者の美内先生のお顔を拝見したのはこの新聞記事が初めてでした。
なんとなく影のあるアンニュイな雰囲気などと勝手にイメージしてしましたが、お写真からはとても実直で芯にあるゆるぎない何かが感じられます。不思議な体験をされたお話はとても興味深く、故に『ガラスの仮面』の、あの一種独特の密度の濃さが生まれるのかという事もわかったような気がしました。

それにしても身内先生ご本人も相当な思い入れを持って描かれている『ガラスの仮面』が35年も連載されているとは~。確かに数えてみるとそれくらいだというのはわかりそうなものですが、改めて文字で目にすると驚きます。
それにまだ連載終了の見込みもないという事もわかりました!

これからマヤと亜弓さんが紅天女の役を巡ってどう展開していくのか・・・?
 
この先も楽しみに待ち続けましょうか♪


# by hk198906 | 2011-03-10 20:48 | ピアニストの記事など

レッスン~ショパン エチュードOp10-1、シューマンのソナタの思い出

前回のレッスン記(2/11)を綴ろうと思いつつ、忙しさにかまけてまたまた間が空いてしまいました。

前回のレッスンで、ショパン エチュードOP-10-2が終了。
仕上げには程遠いレベルでとても弾けているなんていうものではないのですが、一旦終了させ先にすすむことになりました。
先生より、ショパンのエチュードはピアニストでさえも長いことかけて1曲を仕上げるということ、ある曲の中で解決できなかったことをまた別の曲で解決していったり、そうやってすすんでいくうちにある時また前に弾いた曲に戻ると信じられないくらいに弾けるようになることもあるというお話で、OP10-2は毎日一回だけ(それ以上弾くな)ゆっくりでいいので弾くように言われました。

そして次の課題曲 OP-10-1 そう、ショパンエチュードの最初の曲、言わずと知れた名曲です。

ショパンのエチュードを初めて聴いたのは小学生の頃だったと思いますが、家でしょっちゅう母がかけていたアシュケナージのレコードの演奏ですっかり聴き馴染み、他の演奏家の演奏は受け付けないくらい一時はまりこんだものです。エチュードの中でも特にop-10-1は一番好きな曲で何度も繰り返し聴いたものです。

いつか弾けるようになりたいとずっと憧れて続けていた曲ですが、まさか手を染める日が訪れようとは・・・

この曲はご存知のように、右手の高速アルペジオに左手のバスが音楽の流れの方向を促しながら右手のアルペジオのうねりを伴走して転調を繰り返して突きすすんでいく名曲です。
微妙にうつろいゆく旋律が時にはせつないほどに美しいことこの上ない・・・

ですが、弾くとなるとこれが非常に難易度高しです!

とてもじゃないですが、CDのような粒の揃った超高速アルペジオなど夢のまた夢・・・

まず、アルペジオの音と音との間隔がかなり開いていることが難点。これを音を外さずに鍵盤を這うように高速で弾くには高度なテクニックを要します。転調するところでは黒鍵も入りますので、難所が盛りだくさんです。

アルペジオ奏法についてはT子先生の基本の教えがあります。

アルペジオの上昇の時は右手2の指を打鍵と同時に進んでいく方向にひねります。(下降の時は左手2の指)
このショパンのエチュードの場合も曲の冒頭、右手最初のドソドミドソドのフレーズは、ド(1)、ソ(2)と1,2の指使いでいきますが、ソを2の指で打鍵と同時に小指は鍵盤に向かって右方向へひねるような位置で打鍵。こうすることによって、指くぐり時の移動が容易になります。

そして両腕、肩は全てリラックスさせ、腕は心もちあげる感じで肘はやや体から離し、腕の微妙な上下のポジションによって打鍵時に指先に重みを集中させられる位置を探します。

アルペジオはいつも座る位置より、若干後ろ方向に座った方が腕(肘)が伸びる分、鍵盤を左右させる動作が比較的楽に操作できるような気がします。

そして、ひとつひとつの音の打鍵の際に必ず重心が打鍵している指のみにのっていることを意識。
前の音の離鍵後に重心を残したままだと重心は分散させてしまうので、離鍵と同時に重心は次の打鍵に向かいます。アルペジオを弾く時に音と音の間隔が空いているからといって手や指を伸ばして広げたまま弾かず、打鍵&離鍵と同時に指は手の甲に引き付けるような意識で収縮させます。

注)私は以前アルペジオなどで音と音が飛ぶ場合、次の打鍵に向けて指(手)を広げて用意しておく方法を習いましたが、T子先生の場合その方法はとりません。

アルペジオの進行の中でキーとなる指を打鍵と同時に方向づけ(ひねり)、そして打鍵後即収縮されるという打鍵動作により、ひとつの鍵盤に重心が載るようになるのですが、言うは易し!
毎日超スロー練習からスタートしてまずこの基本動作を繰り返して練習しています。

上記の弾き方練習の他に、右手の分散している音を和音で纏めて拾い、和声進行を捉えることと、左手のみこちらはインテンポで(左手だけなのでそう難しくありません。)、和音をただ弾くだけではなく和音のメロディラインを意識して弾く練習。

そしてラフマニノフ エチュードですが、op23-6が終了し次はop23-7です。

これが左右の弾き方がどちらで取るのかわからないところが多く、譜読み放棄状態となりました~!
レッスンで確認しないとわからないし、へたに弾いてあとから直すのも大変なので、その分ショパンのエチュードをがんばる事に~。(苦しい言い訳)

シューベルト ソナタ20番(第1楽章)は引き続き練習中。


プラスして、

日曜から、突然シューマンのソナタOP22 1楽章を譜読みしています。

数年前にのだめの影響で、この曲への注目度が集まり、弾かれる機会も増えたようですね。
私がこの曲を初めて聴いたのは、高校生の時。
当時のピアノの先生が課題曲の選曲の時に、こんな曲もあるのよといくつか曲をば-っと弾いて下さった中の1曲でした。この曲を聴くなり、強烈に惹きつけられた記憶があります。
先生はシューベルトのソナタもいくつか出だしの部分を弾いて下さったのですが、このシューマンのソナタがあまりに鮮明で、その後ピアノを止めた後もずっとその曲を聴いた時の衝撃が忘れられず、けれどもあの曲が実際には何だったのかと思い出せずにいました。

ピアノを再開したある日、あるお方のブログを尋ね、たまたまそちらに載せていらっしゃる演奏動画でこの曲を偶然聴いたのですが、その途端、細胞が一揆に目覚める感じで「この曲だ!」と思い出しました。
それで早速楽譜を購入したものの、当時はピアノを再開したばかりだった事もあって弾こうにもまるで歯がたたず!
その後は楽譜を開くこともなかったのですが、一昨日の日曜日に思い立って弾いてみたところ、あれあれ?とても難しいけれど再開当初とは雲泥の差ですよ?一応音は拾える??
少しは進歩したのかなぁ~。だとしたら嬉しい・・・
この曲もまた、非常に学ぶものが多い曲という印象です。


はて。今週のレッスンはどうなるんだろう~。

# by hk198906 | 2011-02-22 12:33 | ピアノ レッスン

レッスン~ショパンエチュードOp10-2、シューベルトソナタなど

今年に入って二度目のレッスンでした。

T子先生より、開口一番、先の日曜日に門下の生徒さんのお宅で行われたアメリカ人ピアニストのコンサートについてのお話がありました。
私は体調が良くないため、残念ながら行く事ができなかったのですが、総勢30名くらいのお客様が集まり、ショパンやシューマン等、一時間程の演奏だったそうです。
お話の中で、ピアニスト氏が演奏の際にピアニストが途中で和音を掴みそこない、先生はかなり近くで見ていらしたそうなのではらはらしてしまったそうなのですが、その時のリカバリーのシーンについてお話され、

『こんな事を言ってしまうのはピアニストの方に申し訳ないのだけどねぇ。秋生さんに見てもらいたかったのよ。プロのピアニストでも間違える、その時どのように切り抜けるかの一例としてね。誰でもわかる失敗だったけど、そ知らぬ顔してつないでね。その後も知っている人ならわかるミスがけっこうあちこちにあったのだけれど、本人はまったく顔には出さないからわからない人もたくさんいたわね。練習の時はそういうことはダメだけど、本番ではこれも必要なテクニックだからアナタが来ていないかと後ろを見回したのだけれどねぇ。』と。わざわざそんな事を考えて下さっていたなんて恐縮の限りです(汗)。

『発表会の後、色々考えてねぇ。何度も言うようだけど秋生さんの暗譜については全然心配していなかった。他に暗譜が気になる生徒さんがたくさんいてね。そちらには色々対策を考えていたんだけど。あなたにも万が一という事の為に抜けられるようにいくつか出口を作っておくように用意しておけばよかったと思ってねぇ。それにあなたはフルタイムでお仕事していらして、そちらも大変なのにそんな事ももう少し気を使えばよかったかしらと。』

私の発表会での失敗について、先生は先生なりに一生懸命考えて下さって、そういうお気遣いが本当にありがたいし、嬉しいし、先生には頭が下がりっぱなしです。
今後の本番対策については出来る限りのことを準備していこうと心新たに決意!

~レッスン~

『さぁ。ショパンエチュードop10-2番からですね。体調も崩されていらっしゃるようであまり練習できなかったのではかしら?』

先生がおやさしいので、よっしゃとばかりがんばって弾きました。
しかし、ショパンのエチュードは甘くないのです。
途中途中指がもつれて1拍ごとに入る和音が抜け落ちる抜け落ちる。

ショパンエチュードOP10-2という曲は、クロマティックエチュードと勝手に別名していますが、右手半音階+一泊目和音付き という構成がネックです。

半音階を弾く際、右手で1、2,3の指を使って1の指をくぐらせたりしながら上り下りするのであれば楽ですが、この曲の場合半音階を主に4,5の運指で時々3の指追加という非常に動かしにくい使いにくい指を酷使するので、てこずりました。
4と5の指で半音階をなめらかに弾くだけでも難しいけれど、そこに和音が入ってくると難易度が更にアップです。

日頃の練習は、右手のリズム練習は不可欠。T子先生はリズム練習についてはあまりおすすめにならないのですけど、私はこのエチュードはリズム練習無しでは無理。
変則的なリズム練習とスタカートも取り入れた練習メニューの他、右手の和音プラス3音くらいすすむというように、和音付きの部分だけ抜き取り練習。
これは和音を取りながら半音階の出だしをなめらかに弾けるための練習、そして和音は弾かずに半音階のみ弾く練習を繰り返しました。

それでもなかなか上達しないので、もうやめたいとばかり練習も放り出しそうになったこと数知れず。
速さをあげていくと弾けていない部分がめちゃくちゃ露呈されるし・・・


で、なんとか弾き終えると・・・思いかけない事に、

『あら。かなりよくなりましたね。ここまで弾けるようになったのでもっと仕上げましょう。じゃあ来週ももう一回やってみましょうね。肩をもっとストンと力をぬいて、呼吸をもっともっと楽に。』

ああ~、今日でこの曲お終いにしてくれるかなぁなんて期待してたんですが・・・
この曲、練習の手をぬいたり、ちょっとでも弾かないとすぐ弾けなくなるのです。
あと2週間またキープさせるだけでも大変・・・更に進化させるのはもっと大変だ・・・・(ため息)

ラフマニノフ プレリュードop23-6

『心でよく歌っていますよ。いいですね。でも右手の和音を弾く時にね、まだ力が入っている。』
手を広げた形の和音でpやppで和音をつないでいく弾く弾き方のご指導。

『ラフマニノフはね。アメリカに移民したとはいえ、やはりロシア人。演奏方法については色々なスタイルがあるけれど、私はラフマニノフは濃く、深く。そしてロシアの広大な土地の広がりをイメージしながら呼吸をゆったりとり、情感豊かに弾くこと、それらがラフマニノフのスタイルだと思っているのですよ。』

この曲は右手でロマンティックな和音進行を紡ぎながら、左手で長いフレーズを弾いていくのですが、左手の弾き方のご指導が。

『クレッシェンドだからといって指でもって音を盛り上げていくのはだめです。まず気持ちありき。そして呼吸。指はその後に自然についてくる感じで。』

-ああ、また同じ事を言われています・・・やっているつもりでも出来ていないのです。

シューベルトソナタ20番(op.959) 第1楽章

-先生。前回のレッスンで第4楽章を見て頂きましたが、いろいろと考え、やはり1楽章からやってみようと思い、今週に入って1楽章を弾いてみました。なのでまだ途中までですが聴いていただけますでしょうか・・・

『あら。今度は1楽章(笑)?わかりましたよ。では弾いてください。』

シューベルトのソナタを過去にほとんど勉強されたという先生。ブレンデルの演奏DVDも全てお持ちです!

私が弾く隣で先生がところどころ一緒に弾いて下さるのです。
それで途中からどうも夢うつつというか、シューベルトの音楽に浸っているような感覚に包まれ、つっかえながらも先生もストップされないので結局最後まで弾くことに。
左手スタカート打鍵について、跳ねるようなスタカートではなく粘るような響きの余韻を持ち合わせたスタカートとのご指導。

『この曲(楽章)も長いのよね(笑)。私の楽譜だと12半ペ-ジねぇ。このあいだの発表会でお弾きになった19番、あの時は曲に入っていくのに暫く時間がかかったけれど、だんだん曲に入っていくことができたのね。それは発表会のDVDを見ても思ったのです。前と比べて音も変わったし、ちゃんと出てくるものが出てきているの。だからかしらね。この20番は最初から曲の全体を掴まれていらしてかなり入っていけていますね。なかなか悪くはないですよ。』

-ああ、そうでしょうか。だとしたら嬉しいかも・・・

『ただやはりとても長いという事があるので、発表会でこの曲をやるか、また別によさそうな曲があるかちょっと考えますね。でもこの曲は続けて勉強していきましょう。』

発表会は7月に会場が取れないということで、6月末で再度予約を入れているという事だった。
それがダメだったら秋以降になるようだ。6月と秋以降ではちょっと開きがあるので微妙なところだが、シューベルトを発表会でどうしてもまた弾きたいとか、ごり押しするつもりは全くない。
ただ、レッスンを受けられるという事だけでも十分に幸福な事。

という事で、引き続きシューベルトを勉強する事に決まりました。
ようやく迷いから抜け出せ、ちょっと晴れ晴れしい気持ち。
昨年から憧れていたこのソナタ20番をやれる日が訪れたというのは、かなりうれしいことです。




# by hk198906 | 2011-01-27 12:33 | ピアノ レッスン
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ピアノ、日常のつぶやき


by hk198906
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