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本日の日経新聞より-長崎被爆者が見た『フクシマ』

6月23日(木) 日本経済新聞 16面より

昼休み、何気なく新聞を開いて目を通していたら、この記事が目に飛び込んできて読みながら震えた。
世界で唯一の原爆被爆国である日本の背負うものの重さ、そして震災による福島原発事故の持つあまりにも重過ぎる影響、人間の愚かさと罪。被爆者であり作家である林京子さん(81)の発する言葉から伝わってきた。著書を読んでみようと思います。


                  ****以下記事より****


長崎で閃光を浴びた作家の林京子さんは今、ひとりの被爆者の目で『フクシマ』を見つめている。
深い怒りと絶望と、それでも消し去ることのできない人間への信頼を抱いて。

長崎被爆者が見た『フクシマ』

私は1945年8月9日に被爆したひとりの被爆者の目で大震災後、原子力発電所の事故を見てきました。今、感じるのは全身が震える程の絶望と憤怒、落胆です。ああ、この国は確かに被爆国であった。なのに、何も学習していなかったのだと。
事故の後、最初に『内部被曝』という言葉がニュースから聞こえてきたときは涙があふれました。私たちは60年以上もそれと闘ってきたのですから。いったい何て国だろう。友人たちの死は何だったのだろう。あんなに打ちのめされた事はありませんでした。
放射能の影響は、何十年たって表れるかわかりません。住民の健康調査をきちんとしてほしい。
必要ならどこまでも逃げるべきだし、もうすでに独自の線量を測る人がいるように、自分の身は自分で守る覚悟が必要です。

■発電所と兵器は違う。ただ、同じ『核』を手にする限り、その意味を考えてほしいと林さんは言う。

電力を起こすものと原爆は違います。でも根にあるのは同じ核物質です。
8月9日をフクシマとつないで考えることは、人間の命をどう考えるかという問題だと思います。
その認識を政治や科学に関わる人々に持っていてほしい。
被爆者の人生が役に立つならば、自分が生きた記録になるならば、私はモルモットの不幸を甘んじる。そう思いながら『祭の場』(75年)以降、自分と死んでいった友人たちのことを書いてきました。あえて淡々と乾いた言葉を選んで、個人の体験をいかに人間全体の体験として書けるか、普遍的なものに出来るかが一貫したテーマでした。
先日思わぬ場所からうれしい反響がありました。『長い時間をかけた人間の経験』(99年)という作品がドイツの出版社から出るのです。原発をなくす決断をしたばかりの国です。原爆と原発、2つの核を重ねて理性的に考える人はいるのだと励まされました。

■死の影におびえながら生き抜いた今日まで、筆を動かす原動力は、人間への信頼だったという。

人を信じていたから、私は命について書いてこられました。あんな体験をしてなぜ、と尋ねられますが、どん底まで人間の悲惨さをみたら、人は優しくなれるのかもしれない。
『祭の場』に書いた話ですが、私は爆心地から1.4㌔の地点で被曝して奇跡的に助かり、炎の中を逃げる途中見知らぬおばさんと一緒になりました。おばさんの家までいくと、町全体が焼き尽くされ跡形もない。おばさんの家族は全滅です。
それなのに、一人で家族のもとへ帰る私を心配して、なけなしの十円札を『持っていきなさい。』と着物の襟にはさみました。そればかりか、もし家族がだめだったらここに来なさい、と自分が身を寄せる郷里の住所まで書いてくれた。そういうことができるのです、人間には。
ね、信じられるでしょう。

作家
 林京子さん
 (はやしきょうこ)1930年長崎県生まれ。14歳まで上海で過ごす。動員先の工場で被曝。その体験に基づく『祭の場』で芥川賞。他に『三界の家』、『長い時間をかけた人間の経験』(野間文芸賞)など。

by hk198906 | 2011-06-23 14:12 | ピアニストの記事など
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ピアノ、日常のつぶやき


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