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レッスン~Chopin Etude Op.25-12、Shumann Sonata

早いものでもう7月。
今日7月6日はアシュケナージの誕生日だそう。
今朝のFMクラシック番組を聴いていて知りました。今年で74歳とのこと。
ピアニストとしてのコンサートはもう引退されたようですが、今も指揮者として現役でご活躍中とは素晴らしいことです。アシュケナージは子供の頃一番好きだったピアニスト。実家には昔、アシュケナージのレコードがたくさんありました。一番聞いていたのはショパンエチュード。今でも他のピアニストの演奏が聴けないくらい、数え切れないくらい繰り返し聴いたものです。一番好きだった最初の曲=Op.10-1、演奏が頭の中で音色変化も含めて全て再現できるくらい聞き惚れていましたっけ。(自分で弾いたらもう地獄!改めてアシュケナージを崇めましたです・・・)

今年の秋、第三回目香港国際ピアノコンクールが開催されますが、アシュケナージは今年も審査委員長として来港予定。今年も楽譜にサインをもらいましょう。何の楽譜にしようかな♪

さて、久しぶりにレッスン記を。
前回のレッスン日程が変更になった関係で今日は1週間ぶりのレッスン。

お初のショパンエチュード OP.25-12 と今年の秋の発表会で弾く予定のシューマンのソナタ、時間があれば、ベートーヴェンピアノコンチェルト第4番3楽章を、という予定でいざレッスンへ。

前回のレッスンでショパンエチュードのようやくOP.10-1が終了というか、一旦終わらせる形になり、次に命じられたのがOP.25-12。
暗いうねりを湛える両手アルペジオの超高速な曲ですが、この1週間はゆっくり練習、片手練習、変則リズム練習等に徹しました。
私には10-1があまりにも難しかったせいかこちらは予想外に弾きやすく、練習もなかなか楽しめる感じでした。宿題は全体の3/2くらいのところまでだったのですが、ラストまで練習できるくらいの余裕が。

そのせいか先生よりも、『初回にしては上出来ですね。』と珍しいお褒めの一言が。
先生から最初の一声でほめられる事はなかなかないことなので、素直に嬉しかったです。

『この曲をあえて選んだのは、昔の弾き癖を徹底的に直し、腕から全て脱力した奏法を身につけるため。この曲を昔の弾き方で弾いていたら高速では決してきちんと弾けないからねぇ。あなたもずいぶん力が抜けてきているのだけど、肘から下の腕の部分の芯がね、まだ硬さが抜けないのと手首がまだ完全に開放されていないわ。そして大切なのは、ぜ~んぶ心を完全に開放しきって弾く事。ココ(胸を指して)を固めてしまわないこと。』

**弾き方について
手首の位置をもう少し下げて、手の付け根の部分が鍵盤に触るか触らないかの位置で、アルペジオの進行時の上昇も下降も全て腕から意識してもっていく、手は腕に自然についていくだけ。決して手と指先で進行するように弾いてはダメ。肩も腕も手首も完全にリラックスさせること。

『みなさんね、自分では力が抜けていると思っていらっしゃるんだけど、たいていどこかに必ず力が入っていらっしゃるのね。わたしも昔、力が入っていないかどうか、脱力する感覚を色々やってみたのだけど、眠った時を意識して探し出したしたりしたんですよ。』

自分自身で力が入っているということを意識できるというのは難しいものなのかもしれない。
ましてや下腕の芯に力が入っていると言われると、う~ん、なかなか意識しずらいかも。
例えば弾きながらつい力が入ってしまい、肩が上がっているなということだと自分で気が付いて肩を落とすようにできるし、腕も上腕部分だったらまだ感覚が掴み易いかもしれないけれど。

ショパン・エチュードの今日のレッスンはポイントを絞ったご指摘だけであっけなく終わってしまい、これはシューマンとベトベン両方とも見てもらえそうと思いつつ、シューマンのソナタ2番 1楽章を。
ん?今日は途中で止められないなぁと思いつつ一応最後まで聞いてくださる。

『なかなか安定してきましたね。今日言うところはまず左手16分音符の伴奏部分。要所要所でがちゃがちゃして煩く聞こえしまうところがあるの。特に58ページね。それからペダル。せっかく弾けてきているけれど、ペダルでぶち壊しちゃっているところが随所に見られるわね。』

左手16分音符が煩くなる部分というのは、特に小指の打鍵から跳躍して親指打鍵を行うところだった。跳躍するので音を外すまいと力んで打鍵していることにより、その音がボンっと目だってしまう。

『最初の音を小指で打鍵したら、そのまま並行移動で親指にいきますよ。秋生さんの場合は移動中にちょっと弧を描くように上に上がっちゃっているけれど上方向にはいかずにそのまま並行移動するだけ。そして親指を打鍵するのはほんの指の重みで鍵盤が下に落とされる意識で。親指で鍵盤を打鍵しにいっちゃダメです。』

常日頃、親指の打鍵については注意しているつもりだけど、親指は鍵盤に触れる面が他の指よりも大きいだけに、高速でオクターブ以上の跳躍の入るアルベルティバスになると、ゆっくり弾く分にはできても速く弾くとなるとこれが難しい。並行移動でストンとそのまま鍵盤が下に押されるの意識で練習してみよう。

そしてペダル。
最初から全て見ていただいてペダルの入れ方を細かくご指導。これでかなり時間がかかってしまい、レッスン時間を超過してしまいました。
というわけでベートーヴェンは次回に持ち越しです。

それにしてもレッスン楽しいな !

仕事でへとへとでレッスンに行っても疲れも吹き飛びます。

心身共に充実して自宅に戻り、昨日作って冷蔵庫で冷やしておいたプリンを食べるのも、
これまた至福のひと時なり^^

# by hk198906 | 2011-07-06 22:48 | ピアノ レッスン

本日の日経新聞より-長崎被爆者が見た『フクシマ』

6月23日(木) 日本経済新聞 16面より

昼休み、何気なく新聞を開いて目を通していたら、この記事が目に飛び込んできて読みながら震えた。
世界で唯一の原爆被爆国である日本の背負うものの重さ、そして震災による福島原発事故の持つあまりにも重過ぎる影響、人間の愚かさと罪。被爆者であり作家である林京子さん(81)の発する言葉から伝わってきた。著書を読んでみようと思います。


                  ****以下記事より****


長崎で閃光を浴びた作家の林京子さんは今、ひとりの被爆者の目で『フクシマ』を見つめている。
深い怒りと絶望と、それでも消し去ることのできない人間への信頼を抱いて。

長崎被爆者が見た『フクシマ』

私は1945年8月9日に被爆したひとりの被爆者の目で大震災後、原子力発電所の事故を見てきました。今、感じるのは全身が震える程の絶望と憤怒、落胆です。ああ、この国は確かに被爆国であった。なのに、何も学習していなかったのだと。
事故の後、最初に『内部被曝』という言葉がニュースから聞こえてきたときは涙があふれました。私たちは60年以上もそれと闘ってきたのですから。いったい何て国だろう。友人たちの死は何だったのだろう。あんなに打ちのめされた事はありませんでした。
放射能の影響は、何十年たって表れるかわかりません。住民の健康調査をきちんとしてほしい。
必要ならどこまでも逃げるべきだし、もうすでに独自の線量を測る人がいるように、自分の身は自分で守る覚悟が必要です。

■発電所と兵器は違う。ただ、同じ『核』を手にする限り、その意味を考えてほしいと林さんは言う。

電力を起こすものと原爆は違います。でも根にあるのは同じ核物質です。
8月9日をフクシマとつないで考えることは、人間の命をどう考えるかという問題だと思います。
その認識を政治や科学に関わる人々に持っていてほしい。
被爆者の人生が役に立つならば、自分が生きた記録になるならば、私はモルモットの不幸を甘んじる。そう思いながら『祭の場』(75年)以降、自分と死んでいった友人たちのことを書いてきました。あえて淡々と乾いた言葉を選んで、個人の体験をいかに人間全体の体験として書けるか、普遍的なものに出来るかが一貫したテーマでした。
先日思わぬ場所からうれしい反響がありました。『長い時間をかけた人間の経験』(99年)という作品がドイツの出版社から出るのです。原発をなくす決断をしたばかりの国です。原爆と原発、2つの核を重ねて理性的に考える人はいるのだと励まされました。

■死の影におびえながら生き抜いた今日まで、筆を動かす原動力は、人間への信頼だったという。

人を信じていたから、私は命について書いてこられました。あんな体験をしてなぜ、と尋ねられますが、どん底まで人間の悲惨さをみたら、人は優しくなれるのかもしれない。
『祭の場』に書いた話ですが、私は爆心地から1.4㌔の地点で被曝して奇跡的に助かり、炎の中を逃げる途中見知らぬおばさんと一緒になりました。おばさんの家までいくと、町全体が焼き尽くされ跡形もない。おばさんの家族は全滅です。
それなのに、一人で家族のもとへ帰る私を心配して、なけなしの十円札を『持っていきなさい。』と着物の襟にはさみました。そればかりか、もし家族がだめだったらここに来なさい、と自分が身を寄せる郷里の住所まで書いてくれた。そういうことができるのです、人間には。
ね、信じられるでしょう。

作家
 林京子さん
 (はやしきょうこ)1930年長崎県生まれ。14歳まで上海で過ごす。動員先の工場で被曝。その体験に基づく『祭の場』で芥川賞。他に『三界の家』、『長い時間をかけた人間の経験』(野間文芸賞)など。

# by hk198906 | 2011-06-23 14:12 | ピアニストの記事など

レッスン~ロマン派中心に

2週間ぶりのレッスン。

この2週間はただただ弾くということにならないよう、ロマン派の音楽というものを意識し、自分の奏でる音を耳で聴いて音を探し出す、という事をやってきたのですが、夜の練習の時間がなかなか取れず(毎晩放映される連続ドラマを見ていて、9時半以降にならないと練習できなかったと白状。)、弾きはじめて30分もすると眠気に襲われ、ピアノの蓋を閉めるという日々。

震災以来早起きの癖がつき、毎朝5時には起きて朝食の支度、家事、犬の散歩、出勤、帰宅後夕飯の支度に終われ、夜10時過ぎてもピアノの練習しているという生活は、やっぱり結構体が疲れるのか、曲を弾きながら気がついたらまぶたが閉じていた、ということ数知れずでした。
昨日は仕事も忙しく、6時半開始のレッスン時間ぎりぎりに先生のお宅に到着。お部屋に入るといつも冷房がかなりききすぎているくらいなのにやけに蒸し暑くて、あれ?と思ったら先生から、『秋生さん。ちょっとエアコン見て下さる?ごめんなさいね、目の術後の回復がちょっとここにきて思わしくなくてね。今頭を上にあげることができないのでねぇ。』

-ハイハイ!え-と・・・温度は31度になってますね(汗)!

『あら、やっぱり!やけに熱いと思ってねぇ。それでモードはエアコンになってますか?』

-いえ。ファンになっています。エアコンに戻しますね。(モードのスイッチボタンを動かしてエアコンにセット)

『ああ、助かりましたよ。どうもありがとう。さてと。今日は何からかしら?』

ということでまずはショパンのエチュードOP10-1から。

相変わらず全く上達しないこのエチュード。
かなりスローに弾き、途中音を外しまくり、ようやく最後まで到達。

『はい。今日はなかなか音がきれいですよ。力が抜けて音の響きが出てきているし、硬さも軽減されて随分よくなった。この2週間は一生懸命耳で聴いて練習なさったようですね。今日言う事は右手。右手のアルペジオの上昇の時の腕の使い方がね。腕から移動という事を教えてそれをやっていらっしゃるんだけど、腕を意識するあまり横につっぱったようになって自然の動きになっていない。Violinの弓を弾く時、こうして動かすでしょう?(実際にViolinを弾く体勢で)ただ横に固定して弓を上下させても弾けませんね?それからアルペジオの指(をくぐらせる)の移動(方向付けの意)は前にもお教えしたように打鍵と同時にです。打鍵して移動するのではなくて打鍵と必ず同時に!それから、打鍵はどんなに弱い音であっても底まで打鍵すること。打鍵を途中までで止めるというような指導が今もされている場合もありますが、それはやはり正しくない演奏方法。打鍵を途中で止めてしまうと大きいコンサートホールでは後まで響いていかないのです。そして、響きが足りないということだけではなく、(胸を指されて)ここ(心)とつながっていかないから、深い音楽の表現というものができないのです。』

右手アルペジオ上昇部分の腕の使い方を先生が私の腕を持ってご指導。とても解りやすい。


『ではこの曲の中間部を今言ったやり方で徹底して練習してきてください。お次の曲は?』

-はい。ベートーヴェンのコンチェルトの楽譜が届いたばかりなのでこれから練習しますので、今日はあとはシューマンのソナタです。』

『よろしいですよ。では弾いてみてください。』


今回は数小節ごとに止められ、細かなご指導を受けました。
特に注意をされたのがロマン派のダイナミクスのつけ方、そして左のフレーズライン、メロディラインの出し方、シンコペーション、オクターブのメロディの紡ぎ方等。

日頃の練習方法にせよ自分の弾き方にせよ、よからぬ癖などレッスンを受けることで毎回軌道修正され、そして新たに学ぶ事も盛りだくさんです。

# by hk198906 | 2011-05-27 15:44 | ピアノ レッスン

ロマン派奏法~大手術命令が・・・

すっかり更新が滞ってしまい、ブログももうやめようかなぁ等と思うこの頃でしたが、
やや気を取り直して最近のピアノの状況を。

5月12日、久しぶりにレッスンを受けました。先生は術後の回復もよくすっかりお元気で、
まだ無理はできないそうですが、お声からしてとてもお元気でエネルギッシュで熱いレッスンが展開。

まずはモーツァルトのコンチェルト23番、第一楽章を通しで。(実は、ショパンエチュードOp10-1番を弾きたくなくて、モーツアルトを先に持って行ったという情けない状態・・・・)

弾き終えると・・・

『モーツアルトはね、一見明るいようでいて、実はとても深いものがありますよ。この長調のコンチェルトも明るさが前面に出ている曲だけど、それだけではなくて、音楽の奥行き、憂いというものがフレーズフレーズに存在している。ただ元気に明るく弾くのは子供のモーツアルト、それだと何回か聴くとあきてしまうのですね。(汗)。でも全体的にはよく弾けていますよ。
それでねぇ・・・たった今考えたのですが。秋生さん、ベートーヴェンのコンチェルトに変更したらどうかしら。実はOさんがベートーヴェンのコンチェルト第4番を弾く予定なのだけど、お相手の都合がつかなくなってしまって。秋生さん今日のモーツアルトを聴かせていただいたらもうけっこう弾けているし、ベートーヴェンの方が勉強になると思うのですよ。』

モーツアルトは大好きなので一生懸命練習したということがありますが、ベートーヴェンのコンチェルトは5番の『皇帝』くらいしか聞き馴染みもなく、4番ってどういう曲だっけ、な状態です。
思ってもいない意外な展開となり、結局ベートーヴェンピアノ協奏曲第4番の1,2楽章のオケパート、3楽章のピアノパートを弾く事になりました。楽譜をオーダーしないと。
そして、モーツアルトの23番は中学生の生徒さんが1楽章のみピアノパートを弾くことになり、私がオケパートを弾くという事に。


シューマン、ピアノソナタOP22 第一楽章。

自分としてはなかなか取れない時間の中、かなり練習していきました。
とにかく曲が難しいしい、さらうだけで精一杯でしたが、片手ゆっくり練習、部分練習を根気強く行い、どうにかだんだんそれらしく纏まってきたかな、と思ったのが甘かった・・・

先生の真剣がぐさっと急所に命中です!

『ロマン派の弾き方ではありません。』

『16分音符が煩すぎる。全くロマン派の音色ではない。特に右手がダメです。左手はまだ昔の癖が付いていない分まだいいの。秋生さん、あなた弾いていて疲れませんか?』

-はい。疲れる、という事はそんなにはないです。(12度の跳躍のところ以外は。)

『そうでしょうね。それはね。昔、弾いていた時に一生懸命練習したせいである程度腕が馴れてしまっているから。ある程度酷使しても耐えられるだけの無駄な筋肉みたいなものがついてしまった、とも言えるでしょう。
秋生さんが表現したい音楽が溢れるようにあなたの内部にあるのはわかりますよ。でもそれが実際にはぜんぜん伝わってきていないの。あなたの中にはこの曲に対する音楽があって様々な色合いがあるけれど、音色変化ができていないから実際に出てきているのは残念ながら白黒の色合いだけ。古典だったらそれで許されるかもしれない。もし、アジアのコンペで弾いたのだとしたらもしかすると大丈夫な場合もあるかもしれないけれど、ヨーロッパであれば全く受け入れられないでしょう。』

いえ、私がヨーロッパで演奏するなどありえないし、あくまでも揶揄としてそのダメさ加減をおっしゃっているわけですが、さすがに堪えました。

『その弾き方だとね。毎日ひたすらたくさんたくさん練習してキープしなければならない。それは昔式の弾き方なのですね。そうじゃない弾き方があるのです。それができればある程度の練習時間でも大丈夫になる。(先生曰く一日2時間程度でOK)あなたは2週間に一度のレッスンだし、お仕事をされていて練習する時間もなかなか取れないだろうしここまで弾けていればよいという事も言えから、こんな事を申し上げるのは酷かしらと思ったのですけれど、あなたはなかなかよいものをもっていらっしゃるのにこのままでは非常にもったいないと思ったから言う事にしました。大手術をしましょう。徹底的にロマン派の弾き方を学んでいただきますよ。いい?今回はこれ以上あえて何も言いません。徹底的に脱力して、特に右手ね、音色をとにかく自分の耳を使って使って色々試して探っていらしてきてください。』

-ええっ?先生、どういう練習をすればよいでしょう?ゆっくり弾いて自分の音を聴きながら練習をしてきたつもりなのですが・・・ゆっくり弾いた方がやはりよいのでしょうか。

『ゆっくり弾こうが早く弾こうが、勿論早すぎるのはだめですけれどね。いずれにしても耳が重要です。音を自分で聴き出すの。自分でこれだ、と思える音をね。さぁ、一緒にがんばりましょう!』


ということで、何にひとつ弾き方において具体的なご指示をいただけず、脱力と耳だけを考え、苦戦状態の日々です。
ロマン派の音・・・・なんとなく感覚的にわかっていても、自分で弾くピアノの音を聴いてこうだと実感することができない。気がついたらいつもの練習に戻っていたという事にならないよう、とにかく全てを捨てる覚悟で臨まないと。
しかし、ベートーヴェンの譜読みも開始しているので、なかなか時間が取れないのが悩みです。暫く仕事お休みしてピアノに専念できればなぁ。あ、等とぐちぐち言っていないで、今できる範囲の中で一生懸命やらないと!

*発表会が10月に決まりました。コンチェルトの発表会は年末に先生のご自宅で2台ピアノで実施予定です。

# by hk198906 | 2011-05-22 16:45 | ピアノ レッスン

本日の日経新聞より ~ バレエ60年、未来ひらく礎

4月28日(木)日経新聞朝刊 文化〘40〙より

バレエ60年、未来開く礎

日本の危機乗り越える人々と気持ち重ね稽古~森下 洋子

私は原爆投下の3年後、広島で生まれた。当時は原爆ドームだけが残る焼け野原だった。そこから人々は一歩ずつ進み、大きな復興を遂げた。戦後、多くの先人が命をかけて日本を創ってくださった。3歳でバレエをはじめ、今年で舞踏歴60年目になる私は、先輩たちの努力の道に連なり、多くの人に支えられて踊り続けられることに感謝の思いでいっぱいだ。
東日本大震災でも、多くの人が苦しみのうちにある。しかし、同時にそれ自体が芸術ともいえる人間精神の美しさも発揮され、深い感動を覚えずにはいられない。瓦礫の町に大漁旗をかかげ、希望を打ちたてようとする人たち。危機を承知で原子力発電所に立ち向かった消防隊員の人たち。

被災地と通じる主人公

人は必ず、どんな辛い状況でも、かすかなでも確かな希望を胸に前に進む力がある。
今、悲しみのうちにある多くの人と同じ気持ちで、日本のこの危機を乗り越えていけるようにと祈りを込めて稽古している。
この5月の連休に松山バレエ団は新『白毛女』を上演する(3,4日東京オーチャードホール)。どんな環境にも決して屈せず、魂の輝きを失わない主人公喜児(シーアル)、その凛とした生き方が新しい時代を切り開いていく。
松山樹子先生が1955年に中国の物語をはじめてバレエ化し、初演で踊った『白毛女』は訪中公演もされ、日本と中国に心の橋をかけた松山バレエ団の宝物だ。私は二十歳の頃に見て、鳥肌がたった。作品にうつる松山先生の生き方に魂が揺さぶられた。
喜児は髪が白くなるほどの苦難でもあきらめず、屈せず、絶望の淵から生き抜く。37年ぶりに踊る事になって、その精神の強さが被災地に通じると強く感じる。清水哲太郎が構成や演出、振り付けを改訂した新『白毛女』を松山バレエ団が全員一丸となって踊ることで、ご覧になった方に生きる力を少しでも感じていただけたのなら、こんなに幸せなことはない。

被爆の祖母の姿勢学ぶ

子供のころ、私は体が弱かった。家の前の幼稚園でバレエ教室が始まり、体を鍛えるために3歳から通った。小学校2年から夏休み冬休みには夜行列車で12時間かけて東京までレッスンい行った。父も母も『バレエにあげた子』と言った。
祖母は爆心地近くで被爆し、顔を含めて下半身に大やけどを負っていた。
『お経まであげてもらったのに、ちゃんと生きているのよ。』そう話していた祖母は、やけどした方の手が不自由だった。『うまく動かないけれど、これで洗濯もできるのよ。』と、いつも前向きで明るく、平気で銭湯に行く祖母を見て育った。あきらめない。それが私の生き方になった。

今も基礎に5,6時間


幼い頃からとても不器用だったので、何度も何度も繰り返し稽古をする。そうするとできるようになるということが身体にしみこんでいる。今も日に5,6時間は基礎練習をやリハーサルに取り組む。たまの休みもストレッチは欠かさない。怪我や病気で稽古を休んで筋肉が落ちないよう体調には人一倍心を砕く。バレエと出合った最初から、この素晴らしいものを続けたいという思いが強かった。『今日もつつがなく稽古ができてよかった。』。日々の想いはかわらない。
バレエはプルアップ、からだを引き上げる力がなにより大切。踊り続けることでプルアップの力は維持できる。ホッケー選手だった父から受け継いだ柔らかい筋肉は、その助けになった。バレリーナの素足は豆だらけで、爪も黒くなる。現役を引いた方から足がきれいになったと聞いた事があるが、私がそうなることはもうないだろう。

昨年演じた『ロメオとジュリエット』のジュリエットはかつて松山先生に『なりきらないと』と言われた役。全部をさらけ出して少女になりきる、そんな感覚が時間を経てわかるようになってきた。薄皮を積むようにできるようになる。
いつまで踊り続けるのですか?舞踏歴50年を迎えたとき、多くの方からそう聞かれた。『どこまでできるかわかりません。』とお答えした。その答えは今も同じだ。バレエの世界で命をかけ、多くの人々に、そして次の世代に希望を届けようと力を尽くしたガリーナ・ウラノワや、マーゴ・フォンティーンら世界中の素晴らしい先輩方に教えをいただいた。今、その思いに恥じないように平和へ、そして命を慈しむ豊かな社会へ祈りを込めて踊り続けていきたい。先人たちの声が聞こえてくる。
『毎日が一年生。謙虚に感謝をもって稽古しなさい』 と。

(もりした・ようこ=松山バレエ団プリマバレリーナ)

森下洋子さんが広島ご出身だとは知りませんでした。
既に60歳を超えられ、尚も現役でご活躍されていらしゃるプリマドンナ。
バレエはほとんど知らないし森下洋子さんのバレエも昔TVで拝見したことしかないのですが、
幼少の頃、ブラウン管を通しても森下さんの耽美なしなやかさ、香りたつような美しいバレエに圧倒されましたっけ。現在も毎日5,6時間も稽古を欠かさないとは本当に恐れ入ります。世界に名を馳せた日本の誇るプリマドンナ。実際はどれだけの努力のお方なのでしょう。
日本に住んでいたら、『白毛女』の舞台を見に行きたいです。

森下さんとヌレエフのジゼルの動画 第2幕より

松山バレエ団新『白毛女』公演

# by hk198906 | 2011-04-28 09:50 | ピアニストの記事など
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ピアノ、日常のつぶやき


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